「哲学は役に立たない」?
孟二加です。哲学院生です。
「哲学は役に立たない」
と、大学院まで来て現在進行系で学んでいる私でさえも考えることがあります。
いつもグルグル考えてるのを、初学者や一般層向けに、一人論争してみました。
〈役に立たない〉
だって、哲学はひたすらに需要がなくて、「財」と「サービス」を産むことがまあ難しい。
※「財」とは、お店に陳列されている商品のことです。形や量があるもののことです。
「サービス」は、美容室やマッサージ、旅行なんかが該当します。
要は、交換しにくいんですよね。
交換しにくさで言ったら他にも色々あるでしょうが、特に交換しにくい。
本として出版されても、小説と違って読者を楽しませるためには書かれていません。哲学の本なんか読むより小説やアニメを見たほうがずっと楽しいですしね。そして何より本として出版するまでのハードルが高い。
相談や対話としてサービス化できても、一度にさばける人数は当然一人ですから、非常にコスパが悪い。
教授職について大学で教えるとか、オンラインサロンを開いて信者を集めるとか、それにしたって中身に需要がなくちゃ成立しませんから、これも価値交換に至るまでが遠い。
つまり需要がないんです。
哲学が与えてくれる"何か"に、人々が価値を感じない。
これに尽きます。とにかく儲からない。食えない。
〈反論〉
けど、ここまでの意見て前提からして「役に立つ=経済効率」なんですよね。
一般的な、家庭的な経済感覚で言ったら利益が出なきゃ破綻するので、「役に立つ」=利益がプラスになるという感覚になる。
その前提を受け入れれば、確かに哲学は役に立たない。全然使えない。
経済効率もクソもないからです。
しかし哲学は経済効率に応えるためにはできていません。
役に立つ/立たないの2択じゃないんです。
どちらかといえば、「0をプラスにする」んじゃなくて、「マイナスを0にする」。
哲学はあくまでも、マイナスを0にすることしかしないしできないんだと思います。
(というか、哲学者はおそらく基本がマイナスですね。悲観的な立場と言ったら語弊がありますが、人間や社会システムを不具合だらけだと見做しているようなところがあるかと思われます。)
また、そもそも人間て経済効率で動いてないんですよね。
考えてみたら当たり前ですが、悩んだり怒ったり楽しんだり愛したり、って経済的でも合理的でもない。
「宇宙の外には何があるんだろう」とか
「死ぬとどうなるんだろう」とか
「動物と人間て何が違うんだろう」とか
「愛するって何だろう」とか
まぁ色々。子供の頃みーーーーーんな考えたでしょう。
大人の皆さんだって、嫌でも考えてしまって眠れなくなって、なんJとか見たり書いたりするわけじゃないですか。で、「いいから寝ろ」ってコメントが飛んでくる。
寝たほうがいいことは分かりきっているのに、モヤモヤするから考える。
経済効率もクソもないですよねー、でも考えちゃう。気になって仕方ない時がある。
そういう「気になって仕方ない」のをなんとかしようとしてきたのが、哲学の営みだと私は思ってます。
「気になって仕方なくて」どうしても一世代や一時代じゃ済まなかったから、学問として体系化されてきたんじゃないですかね。
〈総括〉
ほとんどすべての学問は哲学から生まれたか、哲学に流れ込みます。(私は高校までの学問と哲学しか知らないんですが、たぶん。)
今のところ「哲学って自然科学の残りカス」みたいなひどい言われようなんですが、それでも残ってる。
他の学問は「進む」。
哲学は「立ち戻る」。
他の学問は「細分化」したり「作り込」んだりするけど、哲学は「まとめる」。「可視化する」。
他の学問とは質を異にしている側面があるからなくならない。
少ない需要だけど、熱狂的な信者がいるから消えない。
結局、役に立たなそうだけど残ってるのは、単純にめっちゃ面白いからなんですよねきっと。
でも一つ注意しなければ。
哲学は面白いだけじゃないからです。
「気になって仕方ない」
この先に見つけるものは決して明るいものや美しいものや心地いいものだけではないからです。
むしろ更に難解な問題になって複雑すぎて投げ出したくなったり、
あまりに汚くて醜くて救いがなくて目を背けたくなることがざらにあります。
「役に立たない」と言われるのには、そういう理由もあるんじゃないでしょうか。
熱くなってしまいましたが、こんなとこでやめときます。
また。