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哲学院生の自主学習

ショーペンハウアー②【哲学者】

 

孟二加です。哲学院生です。

 

ちょっとだけ間が空いてしまいましたが、

前回に引き続き

アルトゥール・ショーペンハウアーについて語って行こうと思います。

 

早速参りましょう。

 

〈思想の特徴〉

 

哲学ってなんか系譜というか、流れというか、

そういうのがあります。

ショーペンハウアーもけっこうあちこちから影響を受けていて、

特にプラトンとカント、ウパニシャッド哲学からの影響は甚大です。

カントに関しては

「私はカントの直系だ」と自任するほど。

著作の中にもめちゃくちゃカント出てきます。

カントの知識がないと言ってることの大半わからないくらい。

だから主著は難しくて売れず、

エッセイみの強い『余録と補遺』のほうがヒットしたのです。

(しかし一般的にはカントの直系って

フィヒテシェリングヘーゲルとかなので、

ショーペンハウアーはちょっと本筋から外れる扱いを受けると思います。)

 

また影響を与えた思想家もけっこういて、その中だとニーチェが有名です。

「意志」の哲学ですね。

※詳しくはニーチェの方も勉強してからにします…

 

彼の世界観は、

主著の題『意志と表象としての世界』

これに尽きます。

彼にとって、

「世界は私の意志表象

なのです。

一見、観念論とか独我論のように思われます。

(勘ですが、哲学やる人でショーペンハウアーを避けた人、ここに拒否反応を示した場合も多そう)

 

しかし彼の哲学はそんな一言では終わりません。

この、「意志」と「表象」が非常に厄介。

 

「表象」は筆者も猛勉強中で、

哲学史、特にプラトンとカントの素養が必要です。

現象学っぽい側面も強くて

簡単な言葉でまとめるのも難しく、

なかなか一般受けしそうな話はできそうにありません…

 

「意志」については少しだけ、解説したいと思います。

 

ショーペンハウアーの世界観において、

苦悩は人生の前提です。

幸福や快楽といったものは、

「苦悩や苦痛がない状態」でしかないと言うのです。

例えば、「何気ない毎日が幸せ」とか真剣に言えるのは、何気ない毎日を失ったことがある人だけです。

(筆者はぬくぬく暮らしているので恥ずかしくて言えない。幸せ者です。)

 

もっともっと身近な例で言えば、肩揉みが気持ち良いのは肩が凝っている人でしょう。

子供の頃肩を揉まれてもくすぐったいだけだったのに…今はめちゃくちゃ気持ち良いですね。

 

これがなぜかというと、

人間を動かす活力(彼はこれを意志と呼ぶ)は、

"ただ盲目的に生きる"ことを目指していて、

その邪魔となるものを排除しようとするからです。

生きるのには、怪我や病気は困るのです。

だから退けるために苦痛となる。

我々の意志は、どんなに快適な環境下でも、もっと快適な環境を求める。

 

つまり、彼によれば

生きることが苦しい時、それは生きたいからなのです。

 

別の側面から言えば、

仏教の生老病死とほぼ一緒だと思われます。

人生の四つの苦しみは、

老いること。

病むこと。

死ぬこと。

そしてそもそも生まれてきたこと。生きていること。

生きてなかったら老いないし病まないし死なないですもんね。

 

この世界観が、彼が厭世主義と言われる所以です。

そして暗いイメージを持たれる所以でもある。

(実は暗くないと筆者は思っているという話は前回した通りです。)

 

〈概要〉

ドイツの哲学者。

厭世主義(ペシミズム)の人であり

なんとなく暗そうなイメージを持たれがち。

仏教や東洋思想をいち早く(もしかしたら西洋一早く?)取り入れた人物でもあります。

 

著作では、晩年記した

『余録と補遺』(通称パレルガ)

その中から抜粋したエッセイ

『幸福について』

『読書について』

『自殺について』

『女について』

などがよく知られています。

 

〈生涯〉

裕福な商人の父の元に生まれ、自身も商人となるよう育てられました。

「アルトゥール」という名は、

英語読みだと「アーサー」

フランス語読みなら「アルチュール」と、

ワールドワイドな名前なのです。

幼少期、父に商人になることを約束し、ヨーロッパ一周旅行に連れて行ってもらいます。

そこで貧困層の生活の惨状を目にしたと言いますから、

彼の哲学の“暗さ”はこの体験に基づくのかもしれないと言われています。

 

まだ若いうちに父が急死すると、

アルトゥールは父の莫大な遺産を母と姉妹と分割し、本格的に哲学の道を志すようになります。

母のヨハンナは上流階級の知識人、文化人で、

当時の女性としてはかなり活動的な人でした。

ショーペンハウアーの名は女嫌いとしても有名ですが、

この母ヨハンナの影響がしばしばその原因とされています。

母ヨハンナは陰鬱な息子と顔を合わせる度

何かしら小言を言っていたようで、

「あなたは私の母としてだけ名が知られることになるだろう」

的なことを言い返されてます。

実際その通りですね…

 

アルトゥールは母のコネクションもあって

ゲーテ(詩人。1749.8.28〜1832.3.22)と知り合い、その才を見出されました。

 

ゲーテは、

(現在で言うと博士論文にあたる)

『根拠律と四つの根について』

を読み、まだ若きショーペンハウアーを高く評価しました。

(後にゲーテは色彩論を書くように勧め、

ショーペンハウアーの書いた色彩論の方向性の違いで若干ギクシャクしたようです。)

 

当時から大哲学者であったヘーゲルを一方的にライバル視していて、

ヘーゲルの講義の真裏で自身の講義を開きますが、

当然の如く玉砕。

ヘーゲルの講義が満員の一方で、

ショーペンハウアーの講義は数人しか受講しませんでした。

すっかり拗ねてしまって、これ以降彼が教壇に立つことはありませんでした。

という有名なエピソードがあります。

すごい人間らしいというか、哲学者っぽいというか…

 

主著『意志と表象としての世界』は

なかなかヒットせず、

晩年『余録と補遺』が予想外のヒットを遂げます。

 

幾度か大恋愛を経たらしいんですが、生涯独身を貫きました。

余生はフランクフルトに落ち着いて、犬をアートマンと名付けて大層可愛がりました。

地元の人には、哲学者というより毎日犬の散歩をしているおじいさんとして有名だったようです。

 

〈終わりに〉

いかがでしたでしょうか。

結構長々と書いたのですが、

しっちゃかめっちゃかですし、

実は書きたかったことの半分も書けていない気がしています。

 

ショーペンハウアーは私の専門ですから、

気が向いたらまた追記していこうかと思います。

 

 

また。