哲学科って何するの?②ー大学で哲学を学ぶ意義
孟二加です。哲学院生です。
前回の続きで、今回は主に大学で哲学を学ぶ意義の部分を書いていきます。
【4年間学んだ先輩として率直な感想】
楽しかった。面白かった。本当に。
だって湧いてきた疑問を先生にぶつけても誤魔化されない。むしろ評価される。
いたじゃないですか。「なんで3.14なんですか」って聞いても全然教えてくれない算数の先生とか、「赤ちゃんはどこから来たの?」って聞いても「コウノトリがね」って言う親とか。(例えばですが)
同級生たちも、「考えたことなかった!」とか言いながら一緒に考えてくれる。
反対に、自分が考えたことなかった面白いことを教えてくれる。
一方めちゃくちゃしんどかった。
単純に重いテーマの時。「なぜ死んではいけないのか」「死とは何か」「悪とは何か」、生命倫理の「安楽死と尊厳死」「中絶の是非」等々。
あと一番は、(後述しますが)自分という人間がいかに汚いか、いかに愚かか、根っこの部分でどういう人間なのか、あるいは人間じゃないのか、直視しなくちゃいけないところ。
【思うところ】
ぶっちゃけ哲学科に入ってくる学生の多くは、大卒を取り来ただけで学科はどこでも良かったり、滑り止めで受けていて他学科に落ちた人だったり、「なんとなく」だったりです。
初めから「哲学が好きで最近〇〇先生の本を読みました!」みたいな人は稀有です。むしろそういう人ほど勉強していく中で哲学に失望したり、途中で燃え尽きてしまったりします。
それくらい掴みどころがない学問です。
だからこそ誰にでも開かれているというか。まったく前知識なくても入ってこれます。
敷居は高いようで低いです。
哲学に対して暗いイメージ持ってる方って一定層いると思いますが、私は別として、私の周囲の人たちはどちらかと言うとあっけらかんとしてます。
なんでか。おそらくですが、
哲学の方法が、«自分が腹のうちで考えていることと徹底的に向き合うこと»だからだと思います。
これが先述した、哲学の一番しんどいところです。
自分の汚さとか、そういうのを直視したくない人は後々しんどくなります。
(直視しきったらあっけらかんとなるんでしょうか?)
例えば、「自分の利益のために嘘をついていいか?」って聞かれたら大体の人が直感的に「それはダメだろ」って思うじゃないですか。
ここで言えば、「何で“直感的に“ダメだと思うのか」を徹底的に考えて、言語化していくのが哲学論文の基礎なんです。
根拠を求められるので、それが自分の信条にまで至った時にごまかせない。
というか絶対至る。
信条のところまで腹をかっさばいて整理し直す。
研究の直接の対象が自分の腹のうちですから、掴みどころがない。掴みづらい。
その掴み方、直視する勇気(?)を学ぶという意味では、哲学には十分すぎる意義があるように思います。
今のところ私にとって、哲学は「徹底的な自己分析」です。
また学問として哲学が勉強できるのは大学だけです。
私は高校倫理を取ってなかったんですが、たぶん「なぜ人を殺してはいけないのか」なんて過激なテーマでグループワークしたりはしませんもんね。
けっこう珍しいんじゃないでしょうか。高校3年生になっても何してるか全然わからない学問て。
(余談ですが、哲学は勉強すればするほど「何してるかわからなくなる」んですけどね)
その意味でも大学に来て勉強する価値はあるんじゃないかと思います。
哲学やったら、その細分化として改めて他の学問たちに俄然興味わいてくるんですよね。
化学とか生物学とか物理学とか数学とか心理学とか世界史日本史とか文学とか言語学とか政治とか、素粒子物理学とか、もう全部です。
ほんともっと真面目に中学高校の授業聞いとけばよかったです。後悔。
散々「なんの役に立つの?」ってなってたあの憎き授業たちの見方変わるので。
まだ若い内にこれに気がつけたのは本当デカい。これが一番のメリットかもしれません。
【終わりに】
2回に渡って、しかもどっちも長々と書いてしまいましたが、どの程度読者の参考になったかは不明です。
まったくわからない。
私としてはデメリットや短所も挙げた上で、哲学の魅力については存分に訴えたつもりです。
まだはてなブログの使い方微妙にわかってませんが、質問等あれば是非コメントください。
また。