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哲学院生の自主学習

お久しぶりです。雑談。

 

研究の意義をアピールすること

 

孟二加です。哲学院生です。

 

ほぼ1年ぶり…?の投稿です。

いやぁ自主学習サボりました。

 

文系とは言っても、なんだかんだ修士というのは忙しいもので。

日々の学業はもちろん、学生なのでアルバイト三昧でもありまして。

 

まあ言い訳です。

 

そして今日の本題のつもりですが、

 

同じく勉学を共にしている友人や、

先輩後輩と話しているのが非常に楽しく、

しかも勉強になるのですよね。

 

一人で机に向かって自主学習してるよりも、

友人たちと会話して、議論して、

仲間内でレジュメや論文を一緒に検討しているのが、

ほんっっっとうに面白い。

 

というのも、こちとらガチですからね。

友人たちもみんなガチ。

 

自分の人生観を、恥ずかしいところまで

言葉に変えて、さらけ出して。

 

議論が加熱しすぎてケンカ一歩手前みたいになることもありますが、

お互いガチなのは確認するまでもない共有事項なので、平穏無事。

 

そして

(筆者が忙しい理由の1つでもありますが、)

他専攻との交流。

 

「研究するにしてもなんでその学問領域にしたのか?」

 

っていうのを問われる。

文系って、特に哲学って、ただでさえ理系に比べて肩身が狭いですからね。

 

自分の研究にどんな意義があるのか?

って常々考えていないといけない。

 

政府が学問領域への予算を削ったとかって嘆いてる研究者もたくさんいますけど、

意義をみんなにわかってもらえなきゃそりゃあカットされますよね。

 

研究してる側からしたら、

「いや当たり前でしょ!意義あるよ!」

ってなるんですよね。

 

自分はそれに人生賭けてるから。

でも他の人からしたら人生賭けるほどじゃないわけで。

なんで人生賭けるほど自分が入れ込んでるのか?

と、

ちゃんと考えてかなきゃいけないと思う

今日この頃です。

 

この意味で、

実は学問に携わる人間ていうのは、

けっこうコミュ力を求められる気がしています。

(体感。)

コミュ力とは?ってかんじですが。)

 

また。

 

次はとりあえず、映画の感想でも書こうと思います。