哲学史やってく2-ざっくり西洋哲学史
孟二加です。哲学院生です。
「哲学史やってく」では、その名の通り哲学史の自主学習をやっていきます。
今回は、超ダイジェストな西洋哲学史の後半です。
早速行きましょう。
〈近代〉1500年頃〜1900年頃
この頃には既にヨーロッパ各地で哲学が行われています。
中世よりずっと短い400年間ですが、哲学者ラッシュです。
ルターの宗教改革と自然科学の発展を皮切りに人々の宗教観が大きく変わったことと思われ、
哲学の問題意識も、ここから実に多様になっていきます。
(もちろん、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教的な世界観は現代に至るまで通底していますが。)
1600年頃、「我思う、故に我あり」で有名なフランスの哲学者デカルト。
"近代哲学の父"と呼ばれるので、彼を転換点と考えていいのではないでしょうか。
『エチカ』で知られるスピノザ、国家の起源を考えたホッブズ、ロックなどなど、省略しがたい人物が多数。
ヒュームを始めとして「イギリス経験論」が登場。
産業革命が起こり、
かの有名なカントが現れ、
以降彼をきっかけに現代哲学への移行期まで哲学者ラッシュが加速します。
しかもこの加速、現代まで続きます。
「啓蒙思想」と「ドイツ観念論」が哲学の本流になっていきます。
ドイツ観念論三銃士、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルは外せない。
筆者の専門であるショーペンハウアーは厭世主義で有名です。
(以降、世界大戦前後は割と同時多発的で、ごちゃっとしていて、筆者自身整理しきれてないですが…というか実際のところその哲学者や思想が流行った時期って特定しにくいのですが、主に人物の生年に沿って書いていきます。不自然な点があったら遠慮なくご指摘ください。)
ニーチェの有名な言葉、「神は死んだ」。
ここに至るまで通底してきた神が一旦死んだことで、哲学は変革を迎えます。彼も転換点ですね。
次。
〈現代〉1900年頃〜今
もはや中心地は世界中ですね。
どんどん行きます。
フロイトによって心理学が分岐。
日本では西田幾多郎が日本独自の哲学として評価され、弟子の田邉元がそれを批評しました。
「京都学派」と呼ばれます。
アメリカで「プラグマティズム」が出現し、より実践的な哲学に関心が集まります。
以降の哲学者は世界大戦の影響をもろに受けています。
『存在と時間』のハイデガーは、20世紀を代表する哲学者です。大問題である「存在」を丁寧に問い直し、日本人にも受けました。
彼も主要な転換点です。
ユダヤ人の女性哲学者アレントは第二次世界大戦を受けてアメリカに亡命。「悪と凡人」の概念で有名です。
"哲学を終わらせた男"ウィトゲンシュタインは、終わらせたはずなのに「言語哲学」の先駆けとなります。
「論理学」や「現象学」まで及ぶ功績を残しました。
日本では『いきの構造』の九鬼周造。
筆者の専門である文人哲学者の和辻哲郎は、一般に『古寺巡礼』や『風土』で知られています。
ハイデガーに影響を受け、彼を批判しています。
『人生論ノート』の三木清は終戦を知らずにこの世を去りました。
サルトルによって以降の哲学の問題意識は「実存主義」に集まります。
以降、哲学の関心はいかに生きるかという具体的な問題をとらえるようになり、専門性を高めました。
より医療現場に密着した「生命倫理」、
環境破壊を危惧する「未来倫理」、
科学と共に歩む「科学哲学」、
教えるとは何かを問う「教育哲学」、
哲学とは何かを考える「メタ哲学」等々。
ここまで。
[参考](前回と同様)
・ミネルヴァ書房『よくわかる哲学・思想』納富信留/檜垣立哉/柏端達也
(・ちょっとウィキペディア)
(・筆者の朧気な記憶)
いやー、疲れました。
(実は内容は前回と続けて書いていて、投稿を分けただけなので)
終盤なんてごちゃごちゃで。
目も当てられないくらい省略したので、それは後々、細かくやっていくことにしましょう。
哲学者たちはもちろん人間ですから、当時や前後の世界情勢、哲学史の素養があるかないかでは理解度が変わってきます。
(それもあって哲学研究者は大体誰か一人“伴侶”となる哲学者を見つけて、その人についてのプロフェッショナルになるんですね。)
超ダイジェストですが振り返ってみて、筆者自身も非常に勉強になりました。
次回このシリーズでは、より詳細な内容に入っていく予定です。申し訳ないですが、好きなところから書かせて頂こうと思います。
また。