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哲学院生の自主学習

mother!(マザー!)観ました -映画鑑賞1

 

孟二加です。哲学院生です。

 

夏休み最後に、ずっと観たかった映画

『mother!』

を観ました。

 

スリラー映画、ホラー映画と分類されるようです。

 

ストーリーをざっくり言うと、

森の中で家を修繕しながら慎ましく暮らしている妻と、その夫。

夫は詩人で、最近スランプ。

彼らの元へ、客人が訪れるが…

 

というお話。

 

日本では公開中止、本場アメリカでも最低評価を受けた問題作とのことでしたが、

 

筆者は正直超好きな映画でした。

 

ジェニファー・ローレンスが(いつものことながら)美しい。

美術(ロケーション)もエモい。

 

筆者はただでさえ映像美重視タイプなので

これだけでもう満足。

 

一応、以下、ネタバレ注意。

 

でもネタバレしたところでこの映画の魅力はなくならないですね。

むしろネタバレ読んだ後のほうが面白いかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、どうしてネタバレ読んだほうがむしろかと言うと、

聖書の知識が必須だからです。

 

この映画は完全に聖書になぞらえていて、

聖書のメタファーだけで構成されています。

 

 

筆者は元々聖書ネタも好きだし、

そもそもキリスト教文化好きな母親からがっつりネタバレ聞かされちゃってたし…

 

さて、ガッツリさくっとネタバレして、本題の感想について語らせて頂きましょう。

 

登場人物と概要

家を修繕する妻は“地球”

(つまりマザーアース)

詩人の夫は“神”

1人目の来客は“アダム”

その妻“イヴ”

息子たちは“カインとアベル

 

次々訪れる来客は“人間”

あるいは“群衆”でしょう。

 

妻と夫の間に生まれた子は“イエス”です。

 

マザーアースから見た神と人間が、

どれだけ迷惑で理不尽で残酷か

 

と、こういうお話になっています。

 

聖書というテーマ

聖書解釈ってただでさえ今でも熱く議論されるテーマで、

っていうか聖書解釈が別れたらそれはもう宗教革命になるくらいなわけで…

これは確かに、ユダヤ教キリスト教批判として受け取られかねない…過激…

 

だって、本当に迷惑なんです。来客たち。

神である夫も意味がわからん。イライラさせられる。

 

なのでこの映画が面白く見れる人ってきっと

聖書マニアの他宗教者や無神論者とか、

クリスチャンだけど懐疑的に見ているとか、ほぼ関心がないとか、

すっごい局所的だと思います。

 

実際監督も「この映画はある特定の人たちに向けて作った」とまでコメントしているようですしね。

 

しかし先程も言ったように、

筆者にはすごく面白かったのです。

 

あらすじと好きなシーン

恣意的に映画全体をまとめるとこんな感じ。

 

〈最序盤〉

炎の中から女性がこちらを見つめるカット

神である夫が暗がりで宝石を見つめて笑うカット

ジェニファー・ローレンス演じる妻がベッドで起き上がるまでの一連のカット

 

〈本編〉

アダムとイブが来て図々しく居座り、宝石を壊す

あとは聖書通りに隠喩が続く

(中盤、来客がみんな去って子供を身ごもり、穏やかな時間もありますが、それも長くは続かず…)

妻には理不尽なことしか起こりません

怒った妻は家に火を放つ

 

〈最終盤〉

大火事の中、ジェニファー・ローレンス演じる妻がこちらを見つめるカット

なぜか燃えない夫

「あなたは何なの?」と黒焦げで死にかかった妻

「私は私だ」と夫

「お前の愛をくれ」と夫

それを受け入れる妻

夫は、黒焦げの妻の胸から心臓を取り出して、

その中から、さらに宝石を取り出します

夫が宝石を台座に戻してにっこり笑う

家も森もみるみる元に戻って、

知らない女性がベッドで目を覚ます

 

まあ全体を見ると酷い話でして。

「詩人の夫」っていうのがまたいいですよね。

クリエイターの夫、しかもスランプ中。

いかにも面倒くさそう笑

トラブルの予感しかない笑

 

等々、語りたいことはたくさんあるのですが、

他の方が感想や素晴らしい解説をたくさん書いていらっしゃるので、

私はあまり取り上げられないところを書きますね。

 

 

神が名乗る

まず言いたいのは、夫が「私は私だ」と言うシーンです。

これは日本語字幕。

英語では「I am I」。

 

ここで、聖書を知っている人は「神か!」とピンと来るんだと思います。

 

製作者も意図して、

「そうだよ!この映画は聖書だよ!」

という宣言に近いシーンではないでしょうか。

 

少なくとも私は、神が何者か問われた時の回答

「私は、在りて在るものである」

を連想しました。

こういうシーンが聖書にあるのです。

日本語だと確かに遠いんですけど、

確か英語だと「I am that I am」とかだったような…(曖昧)

何が言いたいかと言うと、まあ絶対意図してますよ、と…

 

愛と創造

となると、映画の最序盤と最終盤は、天地創造だということがわかります。

 

マザーアースの胸から“愛”として取り出された宝石。

この宝石を、神が台座に乗せたら世界がみるみるできてきたわけですが…

 

これ、アダムとイヴに破壊された、

“禁断の果実”でもあるんですよね。

知恵の実です。

神が人間に触らせまいとした

“禁断の果実”は、

世界を創造する力でもあり、

しかも地球の心臓=“愛”でもある、と…

 

すごく意味深だと思いませんか。

同時に素敵。

“禁断の果実”はしばしば“知恵の実”と言われますが、

知恵というよりは

地球の愛であり、創造力だと。

天地創造は、地球の愛あってこそだと。

 

かなしいだけの物語だと思っていたので、

この描写にはちょっと震えました。

 

しかし、神は言葉で世界をつくったとされているのが通例ですから、

これもすごい反論です。

神への冒涜だって怒る方が全然いそう…

 

拡大解釈ではないと思います!自信あります!

なぜならキリスト教とは愛の宗教でもありますから!

 

結局神は、

ジェニファー・ローレンス演じる妻の“愛”で

新しい妻と新しい世界を造っちゃうんですけど…

でも!逆手に取れば、

「愛は不滅だ」とも取れなくもない…?

これは拡大解釈でしょうね…

 

地球である妻と神である夫がケンカして

「あなたは私を愛してない!」

みたいなことを言うシーンがありますし、

愛溢れる温かい…感じのシーンてイエスを身篭った時くらいなんですよね。

まあ普通にシナリオだけ見ても胸糞映画ですし。

 

製作者が、神と群衆が好き勝手する世界を「愛のない世界」として描いていることは確かです。

それが「愛の宗教」と呼ばれるのですから、

監督の皮肉はここにも効いていそうです。

我々は本当の愛を踏み躙っている、

という。

 

感想まとめ

一応注意しておくと、

一部の聖書解釈に肩入れするわけではないです。

聖書の奥深さ、ロマンを見せてもらったなぁという感じですかね。

 

また、キリスト教の文脈抜きにしても、

人間の身勝手で地球が傷ついているということは確かで、

この映画はそれを痛烈に感じさせてくれました。

 

あとは冒頭に述べたように映像美。

 

長くなりましたが、以上。

ほとんど酷評されてるところしか見ないのでmother!を好きになってくれた人とは気が合いそうですね笑

 

 

また。